心の動き・2021年初冬

こんばんは。最近冷えるね~。
なぜか腰がアッツアツになる自家製湯たんぽを携えているので、夜寝るとき腰だけは暖かい。足先は冷える。毛布って温度がなくても温かく感じて嬉しいよね。


ところで最近、心が軽い。


前の冬はとにかく毎日悲しくて寂しくて心がずんと沈んでいた。今思うと異常だったと思うけど、あのときはどうしようもなかった。
なんとなく出口が見えてもそこまでたどり着けなくて、見えているのに近づけない。そんな日々だった。
少しずつ近づいた、今その出口にいるんだと思う。

それが前書いたブログとも似ているんだけど、「自分の相手をする」ことだった。



元々寂しがり屋ということもあり、友人や家族と話をしないと心のしこりが無くならないと思っている部分がある。何かあったら話を聞いてもらいたいし、一緒に分かち合いたいって思う。
それはなにも悪いことじゃないのだけれど、強い願望になりすぎると自ら心を削るような状態になってしまう。
自分一人じゃどうにもできないことが、不甲斐なくて悲しいのだ。自分なんてって責める方向に繋がり。
それが本当に辛くて、いきすぎると人と話せるタイミングがあっても何も話せないなんてことがある。私の話なんて聞いてもらうには申し訳ないと。
そして結局消化できない気持ちが溜まり、出口の眩しさに憧れる…。


「自分の相手をする」というのは、自分に話をする。自分と遊ぶ。自分ともっと付き合う。友人や家族のように自分を扱う方法だ。



見つけたのは、友人に会いに行った小旅行だった。
まさか私も旅行で考え方が変わるなんて思ってなかった。

一人で向かう道中、いつもだったら音楽やラジオを聞くのだけれどなんだか何も聞きたくなかったのでそのまま一人でボーッとしながらいろいろ考えていた。
まあ悶々と考えることはよくあるのだけれど、旅行で新しい景色に出会ったり、発見をしたり、珍しい電車に興味津々になったりした。

そのときのツイート。
「ここに来て旅楽しい!となってきた
音楽もラジオも聞かず一人でキョロキョロしながら電車を乗り継いで景色見てるだけだけど、ワクワクする
新しい発見だ、私ひとりでも旅が楽しめるようになったのか」

そして帰り。
「楽しい旅だった。まだ帰り道だけど。
道中いろいろ考えているなかで。
友達や家族といるのは苦じゃないし好きだけどそればっかりではなく、私自身をもっと相手にしていきたいなと思った。なんていうか、一人の時間を充実っていうより自分と付き合うっていうか。自分との時間(一人でいる時間)をあとから思い出してもよかったな素敵だったなって思える経験にしたい。誰かといるだけが思い出じゃない。」


おおお。

自分でも感動する。何があった?と思ってしまう。
ただ電車を乗り継ぎ、景色を眺め、居眠りし、過去の思い出や友人や家族を思い出したり、キョロキョロしていただけなのだ。

でも今等身大でこんな気持ち。
何も飾りない、そのままの心の向き。周りの人には恥ずかしくて言えないくらい。
ここからどこに進むのか、俯いても横見しても面白がりたい。


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旅先、ホテルの部屋で一人で飲んだビール。一缶で酔いました。