年中無休でドキドキワクワクしてえ日々

幼い頃の記憶って時々呪いのようなものだと思う。

私は、どうしてもおんぷちゃんになれなかった。

 

 

どんな子供だった?って聞かれると、難しい。

自分のことはおとなしいと思っていた、子供だった。実際はどうか分からないけど。

人前に立つのが苦手。自分の誕生日会やお遊戯会も嫌。友達と遊ぶ時も消極的。

でもだからと言って思うことがないわけではなくて、なんだかなあとモヤモヤした気持ちを抱えていた。

 

成長するにつれてより濃くなった記憶が、保育園の友達とよくやっていた「おジャ魔女どれみごっこ」だった。

おジャ魔女どれみは主人公のどれみとその仲間たちがメインキャラクターで、元気で明るいどれみ・おっとりしてて優しいはづきちゃん・大阪弁を話す面倒見がいいあいちゃん・クールでアイドル業もこなすおんぷちゃん・帰国子女で明るく天然なももちゃん。

みんな魅力的だけど、私の周りでは断トツおんぷちゃんが人気ナンバーワンだった。

(ちなみに気になってしまって大学の友達にも聞いたけど、おんぷちゃんがやっぱり不動の一位。)

 

誰が何役する?から始まるごっこ遊びはいつもおんぷちゃんの取り合いで、その抗争に巻き込まれたくなかった私は自らはづきちゃんやあいちゃん役に立候補していた。

だから、私はおんぷちゃんのことを好きじゃない、と自分に言い聞かせていたと思う。他の子なら正直誰でもよかったけど、関西弁は喋れないからという理由ではづきちゃんをよく演じた。

次第に、はづきちゃんの優しくて控えめな性格に自分が寄っていくのを感じた。

 でもこんなの今思うと私のエゴでしかない。

おんぷちゃんになれないのじゃない。私はおんぷちゃんになろうともしなかった。時にはおんぷちゃんが二人いるようなおままごとだってあったのに。

大人になれると思っていた。友達に人気なものを譲ること、譲れる自分、だってはづきちゃんはおんぷちゃんより大人だったし。


綺麗に作るのが得意だった泥団子を親にも先生にも誉めてもらえたから、物を作るのが得意だと思っていた。

三つ編みが誰よりも早く、綺麗にできたから手先が器用なのだと思っていた。

絵本を一冊暗記するのが好きで、しかもエジソンの本だったから頭がいいと思っていた。



全て気のせいだったけど。

でも、人に誉めてもらえたこと、誰かよりうまくできたこと、ってやっぱり心の底でずっと自信になる。

誰かと比べるのはよくないって言葉も分かる、誰もが特別なんだとも思う、でも実際は一番をとれたものが嘘をつかない経験になる。


残念ながらいまだに誰かの一番になれていたり何かの一番だと思えたことはない。

それでも私は今日も気のせいの呪いをかけて、過去の自分を守る。明日の自分に託す。そうするしかないのだ。